【ベガサポ誕生物語 第0章】こうして僕はサッカーが嫌いになりました。

時は遡り・・・Jリーグ開幕元年。

 

 

世の中は空前絶後サッカーブームが到来していました。

休み明けに学校に行けば

 

三浦知良』が点を取ったとか

 

 

 

ラモス瑠偉』がアシストしたなどの話をするのが当たり前の時代でした。

 

 

 

(上には一人時代が違う人いるけど)

今では考えられないようなスタープレーヤーがJリーグに押し寄せ各チームに1人は有名選手がいて当たり前。

 

日本がJリーグという名のバブルに浮かれている頃私はひっそりとサッカー嫌いになっていました。

 

 

 

ズラタン
はじめましてサポーター歴11年目の『ズラタン』と申します。

 

このスタジアムに来場したあなたはベガルタサポーターですね

 

でなければ他のチームのサポーターでしょうか・・・

 

 

少なくてもサッカーが好きでここに来たと思います

 

 

今ではサッカーが大好きでこうやってブログまで運営しているのですが

 

 

20歳位までサッカーが大っっっ嫌いでした。

 

 

ですが

 

 

 

 

運命ともいえる出来事を境に

 

 

 

ベガルタ仙台サッカーにドハマりし

 

 

 

 

2007年から応援をはじめて

 

 

今では・・・・

 

 

 

 

 

 

ズラタン
ベガルタ仙台とサッカーを愛していています!

 

 

大のサッカー嫌いだった僕が

 

 

なぜサッカーを愛するようになったのか

 

 

そんな”深イイ”訳を見て頂きましょう!!

 

 

ズラタン
レッツゴー!

 

サッカーバブル到来!世の中はJリーグ一色に?

 

時はJリーグ開幕元年その頃私は小学生の低学年でした。

 

当時Jリーグの中心だったクラブと言えば『読売ヴェルディ』ですね。


なぜ読売なのかはここでは置いておきます。

Jリーグバブルだった事もあり夜7時からサッカー中継をするくらいの盛況ぶりでした。

 

試合の翌日クラスの男子のほとんどがカズダンスを教室で真似してました。

 

そんな波に乗ろうと地元のサッカー少年団の『メンバー募集!』と書かれたポスターをよく目にしました。

 

クラスの男子の半分は野球かサッカーをやっていて、クラスに20人男子が居たら10人は野球かサッカーをしている感じで

 

仲のいい友達も徐々に野球チームかサッカー少年団に加入していき放課後は練習で遊べないと度々言われだします。

 

流石に遊ぶ友達がいないので自分も少年団に入れば遊べると安直に考え←

 

居ても立っても居られない自分は母親にサッカーをさせて欲しいと直談判することにしたのです

 

~以下回想~

ズラタン
お母さん・・僕もスポ少(町のサッカークラブ)に入りたいんだ。友達の○○くんもやってるし僕もサッカーしてみたいんだけどダメ?

 

僕の母親は習い事などには積極的に投資をしてくれていて

 

母親の勧めではあるけどピアノや習字をやっていた秀才児←

 

なので僕はサッカーをやってみたいと母親に言えば

 

ズラタンの母
いいんじゃない?やったら

 

 

と許可を貰えて晴れてサッカープレイヤーとして人生を出発するはずでした

 

ですが・・・

 

 

母親から帰ってきた言葉は違いました。

 

 

 

ズラタンの母
ダメ!絶対サッカーはダメ!

 

 

 

一瞬顔が( д ) ゜ ゜となってしまう位に驚愕してしまい続けざまに母親から言われたのが

 

 

ズラタンの母
野球はいいわよ、ラグビーもいいわ、だけど・・サッカーはダメッ!

 

 

 

ズラタン
なんで野球やラグビーは良くてサッカーだけダメなんだ?

 

でも仲のいい友達はみんなサッカーやってる。

 

だからここで引き下がるわけには行かないと思い、食い下がっていると母親から衝撃の一言が・・・

 

ズラタン
でも○○くんや△△くんもやってるんだよ?俺もやってもいいじゃない!なんでダメなの?

 

 

ズラタンの母
だって走れなくて可哀そうじゃない!

 

 

 

ズラタン
えっ・・・・・・・。

我が親ながらなんてことを言うんだと今考えても思いますね・・・。

 

なんたって将来の日本代表を1人潰したのですから(遠い目)

 

実は本当の理由が別にあって

 

それが原因でさせたく無かったのです

 

 

喘息と肥満体系だった少年時代

 

みなさんは『小児喘息』という病気をご存知でしょうか?

 

読んで字のごとく子供がかかる喘息です。

 

これに幼少時代になってしまい中学校卒業までマラソンなどの持久力系のスポーツは苦手でした。

 

子供の時は喘息と言われてなんの病気かよくわからなかったけれど

 

行き苦しくなる運動は嫌いでした。

 

 

そんな事もあり・・・動かなかった僕はボンレスハムに手足が生えた肥満体系でした。

 

この2つがネックとなりどうしても親はさせたくなかったみたいです。

 

ちなみに野球とラグビーがOKだった理由は以下の2つ

 

野球はキャッチャーやファーストなど体系が関係ないポジションがあること。

ラグビーは元々ガタイがよかったので当たり負けしないこと

 

 

ただ小学生低学年だった僕にはとって心を痛めるトラウマレベルの衝撃!

 

 

その1年後更に追い打ちを掛ける事件が起きる

 

 

なんと弟がスポ少に入団ッ!!!

 

 

楽しそうに僕の同級生たちとサッカーしては帰ってくる弟・・

 

 

これがサッカーが出来なくてへこんだ僕にトドメの一撃となり

 

 

ズラタン
サッカーなんて大っ嫌いだぁぁ!

 

となってしまったのです。

 

僕はサッカーが嫌いになりテレビでサッカー日本代表とプロ野球の中継があると

 

弟がサッカーの試合を見ていると横からリモコンを奪い

 

強制的に野球中継にチャンネルを変更ッ!

兄に勝る弟などいない迷言を言った『ジャギ様』のごとく振る舞い

 

テレビ権は兄である僕が奪い野球中継のみ!

 

こうしてサッカーをとことん毛嫌いしていくようになりました。

 

僕がサッカー嫌いになったのはコレが原因でした

 

ズラタン
サッカーなんてなくなりゃいいんだッ!

 

 

 

本っ当にくだらない理由で今では弟と笑い話をしたりしてるけれど

 

当時は真剣(マジ)で嫌ってました

 

弟はサッカーOKで僕はダメなのか・・・と

 

子供のトラウマなんてこんな物ですよね?

 

ただ僕も喘息を治すために母親が新たな習い事をさせてくれたのです

 

それは・・・

そう・・・水泳です。

 

小学校の2年位から治療の一環で習い始め

 

喘息が良くなっても通い続けた僕は

 

中学校では水泳部にも所属して競技として続け

 

夕食を戻すような練習をする合宿にも参加したり

 

水泳を8年も続けたお陰で

 

喘息を完治し多少の事では折れないメンタルを手に入れたのです

 

ただ『走れなくて可哀そう事件』以降サッカーに見向きもしない僕は

 

ゲームは水泳のゲームが無いので野球ゲームの『パワプロ』を帰ったらプレイし

 

サクセスモード(野球選手を育てるモード)で自分の名前の選手を育成したり

 

別に野球部でもなければ少年団にも入ってないのに

 

バットを買って素振りをしたり壁にボールを投げたりして

 

体を鍛えてました

はじまりは高校生のときに・・・

 

そんな時に転機が訪れます。

 

僕は宮城県内でも有名な私立高校へ進学ッ!

 

高校では水泳部ではなく別な部活へ入ります

 

その高校には県内でも数少ない珍しい運動部が存在していて

 

その競技は階級制があり減量が必要でした

 

試合前の減量期になると毎日なんでこんなことをしているのかと自問自答する日々を過ごします。

 

そりゃそうですよ・・食べたい盛りの高校生が昼におにぎり1つで過ごし

 

真夏にストーブを炊いた部室で練習を2時間こなすんだから

 

ただそんな辛い時期も部活の仲間と頑張ることで乗り越えることが出来ました。

 

その結果・・

(注)画像はイメージです。

 

 

 

見事ライザップに成功!

 

ボンレスハムだったのがモデル体型とまで言われる位になりました。

 

地元の同級生はパッと見だれか分からない位の変化があったようで

 

久々にあうと誰か気づいてもらえずスルーされたり(まさか僕嫌われてたの?!)

 

どんだけ太ってたんだか・・・

 

そんな部活に勤しんでいた高校3年の帰り道に”出会い”がありました。

 

監督の方針で毎週月曜日が休みで帰りに同級生と駅前のゲーセンに寄ってたんですが

 

元サッカー部の同級生が割と1プレイが高いゲームをプレイしてました。

 

その当時は稼働し始めたゲームで

 

セガから出ていたワールドクラブチャンピオンフットボール、通称『WCCF』です。

 

詳しい説明は省きますがカード化された選手をフィールド上に配置してプレイするゲームです。

 

 

そのゲームは1プレイ300円。5プレイ1000円 もするゲームで

 

1000円は高校生にとって高額で

 

ズラタン
こんなゲームに1000円はとても出せない

 

と思ってた僕は友人がプレイする所をじーっと眺めてる訳です

 

 

そうすると11人の選手がパスを繋ぎシュートを打つ。

 

 

あの時やってみたいと思っていた競技・・ゴールが決まればカッコいいパフォーマンスをする画面の中の選手。

 

ズラタン
でも・・俺はサッカー嫌いなんだよなぁやるなら野球の方がいいや・・・。

 

と口にする天邪鬼な自分。この時は結局プレイすることなく終わりました。

 

が、こんなゲームがまさか自分を変えるとは思わない僕だったのです

大学生活でWCCFとの再会

 

高校を卒業後仙台市内の大学に進学すると僕はバイトの日々を送ります。

 

当時は車を買おうと必死にバイトしては浪費するを繰り返すダメ大学生をしてましたね。

 

その時に出来た友人の1人にレアル大好きでゲーマーというヤツがいて(しかもレアルのソシオに入ってる位のマドリスタ)

 

講義の合間にみんなでゲーセンに行くととあるゲームをプレイする為にカードの束を取り始める友人

 

感のイイ人は分かりましたよね?

 

そのゲームとはWCCFだったのです。

 

そんなサッカーを毛嫌いする僕に対して友人は

 

『食わず嫌いしないで試しにやってみたらイイだろう』と進めてきます

 

高校時代と違いバイトをしていた大学生時代は懐事情も違います。

 

お試しで1度プレイしてみるとゴールを決めた時の爽快感があってとても楽しい上に初回のプレイでキラカードの選手を引いてしまいーのでどっぷりハマってしまいました。

 

当時は使えたリーグはまだセリエAのみでした。

引いたのは確かデシャン(フランス代表)で

 

昔のセリエAは世界一のリーグで有名選手はみなセリエを目指してたと思います。

 

現在では考えられない位落ちぶれてしましましたがね。

 

ちなみに2003年シーズンは本田圭佑も所属してたACミランの全盛期で

 

ACミラン所属選手のパラメータが優遇されてたこともあって

 

僕もロッソネロ(赤黒)の縦縞を選択して

 

ミラン縛りのチームでプレイ!

 

ちなみにWCCFにハマっていた時僕は

 

ズラタン
Jリーグなんてレベルが低くて見てらんねーよ!

 

と言いまくるなんちゃって海外サッカー通だった僕・・・

 

 

今考えるととても恥ずかしいw

朝から晩までサッカーゲーム三昧

僕はWCCFを2005年から2008年の3年間プレイしてたのですが

 

このゲームには全国大会があって僕が参加したのは第6、7回大会に出場して予選落ちでした。

 

実はこの大会に出るために朝からゲーセンに行いってWCCFをプレイ!

 

着いたらまず1万円をすべて500円玉に両替をし

 

ゲームのコイン投入口に積み上げてあとはひたすらプレイし続ける

 

ただの廃人となっておりました。

 

ただこの頃を境に嫌いだったサッカーにゲームを通じてにどっぷりとハマり

 

BS放送で海外の試合を見たり、マンデーフットボールを見始めます

 

その後はWCCFでは飽き足らずWE(ウイニングイレブン)もプレイし始めるなど

 

徐々にサッカーを中軸に置いた生活に変化が始まりだしたとき

 

あの社長との出会いが待っていました。

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

2007年からベガルタ仙台を応援している元サッカー嫌いのズラタンと言います! 今年で10年以上ベガルタを追い続けてますが実は・・・この世のスポーツでサッカーが一番嫌いでした(笑) そんな私がサッカーという競技そしてベガルタ仙台というチームを愛して応援してますがそれには訳があります! サッカー嫌いがサポーターになった理由やベガルタの戦術をみなさんに分かりやすくお伝えします!