ベガルタ仙台戦術藩結成物語をそれぞれの説にまとめてみた。

ズラタン
はいどーもこんにちは!ズラタン(@NoNoroi8)です!

みなさんは仙台戦術藩という存在をご存知でしょうか?

ベガルタ仙台の試合を戦術分析して楽しんだり、

分析をブログに書いたりしている人たちの集まりの事です。

 

先日の前半戦のまとめに参加頂いたヒグチコータさん、せんだいしろーさん、りゅうさんもそのメンバーですね。

ベガルタ仙台戦術藩2019年シーズンの前半戦を語ろう!#1

ベガルタ仙台戦術藩2019年シーズンの前半戦を語ろう!#1

なんやかんやで自分も戦術藩に入ってたりします(笑)

 

先日Twitterでこんなツイートがありました。

最近気になってるんですが、仙台戦術藩ってどうやって結成されたんですか?
仙台サポの方や戦術藩の皆さん教えて下さい。おねがいします。
良ければ仙台サポの方の渡邉監督の評価もお聞きしたいです

 

そうしたらですね『#戦術藩結成物語』というハッシュタグがいつの間にか出来上がり、

気付いたら諸説出来上がってたわけなんですよね。

 

 


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戦術藩結成物語○○だった説

ではそれぞれの説ごとにまとめてみましたので見てみましょう。

 

仙台戦術藩は○○の拳だった説

20XX年J1リーグはDAZNマネーに包まれた。
有望選手は引き抜かれ、戦術は複雑化し、全てのファンはついていけなくなったように見えた。
だが、仙台ファンは生きていた!
彼らこそ、後の仙台戦術藩である

有名な世紀末救世主伝説になぞらえた1文ですね。

最終的には1人の女性をめぐり争ったり、鉄仮面を被りショットガンを持った兄を殴り

紆余曲折あり壮絶な兄弟喧嘩を経て沖縄とかに行くんでしょうか?

 

 

ナビゲーター要潤からの立派な分析だった説

ナビゲーター:要潤

これだけだとよく意味が分かりませんよね?

ではこのツイートのCMを見てください。

「奥さん!分析をするよ………」

「普通のベガルタと立派なベガルタ、戦術的なのはどっち?」

「どっちも一緒よ!」

「違う!」

「こっちだ………」

「立派な戦術………」

 

ズラタン
なんなん?この流れ?

卑猥な連想されると言われ打ち切りになったCMですね。

 

新海誠の原作だった説

これは、僕と彼女だけが知っている、仙台戦術藩についての物語

絶賛公開中の天気の子ですね。

 

あえて町田から広げる説

一方、遠く町田の地で仙台に集まりつつある力に恐れを抱く者がいた
しかしそのJDは敢えて仙台戦術藩を広めることにより、各地に埋もれる在野の志士を決起させるという策を打つ

歴史に名を残す蹴球戦術時代の幕開けである

Tanaさんは町田ゼルビアの戦術ブロガーさんです。

 

北方謙三シリーズだった説

21世紀初頭、仙台。蔵波無(ぐらはむ)の乱により混濁したベガルタを糺すために、豪傑・好漢が古来より駅近の天険と名高いユアスタに集結する。「替天五列」と書かれた旗印を掲げた彼らは、5レーンによる和式の撲滅を胸に決起した---。(北方謙三著・全20巻)

北方謙三シリーズ読んだことないんでまったく分かりませんでしたw

 

原点は戦術君だった説

時は20世紀終盤、陸奥仙台に1人の男がいた。
彼は画用紙に「2+2=4 2×2=4」と書き込み、蹴球の試合の時に掲げていた。
これは経過が異なろうとも、最終的にその解を導き出せば良いという意味なのだという。
これが戦術藩の原点と言えるだろう。

戦術君を知っているサポーターも少なくなったことでしょう。

戦術君についてはコチラ↓

戦術君

 

DAZNマネーへの対抗策だった説

J1優勝争い。
あっけなく降格する巨大クラブ。無秩序に拡大するDAZNマネー。最初期の監督辞任により壊滅的な打撃を被り、一方的な防戦に追い込まれたベガルタ仙台の切り札になったのが、ベガルタOBの渡邉晋とあの戦術藩だった。

最初期=アーノルドかな?

 

 

戦術藩歴史シリーズ

ここからは史実によってなぞられた戦術藩結成秘話になります。

 

ドイツから宣教師が教えた戦術学部だった説

ドイツから来た日本サッカーの父といえばクラマーだが、実はそれより前の1919年にヴァイマル共和国からサッカーの宣教師が来ていたのである。後に軍と結びつき「戦術学部」と呼ばれたこの組織は東北帝国大学(現・東北大学)の工学部設立を巡る混乱の影に隠れ、知るものは少ない

へーそうだったのかー。

ちなみにヴァイマル共和国とは1919年から1933年までのドイツの事

詳しい説明はコチラ↓

ヴァイマル共和国

 

戦術藩は伊達武将隊だった説

当時、伊達政宗の元に多くの知識人が集まり会合を開いた。その内容は今では失われてしまったが伊達戦術藩という名だけが残された。そして時代を経て新たな当主、渡邊晋の元に再結成した。それがベガルタ仙台戦術藩と呼ばれるようになった。

もっとも多かったのは伊達家と絡んだパターン。

これが1つ目

 

 

1995年にJFLを攻めると、1999年にはJ2へ兵を進め、近隣チームへの見せしめとして撫で斬りを行った。それを見て恐れたJFAは和議を申し出、ブランメルの取りなしによりベガルタは兵を収めることとなった。ところが急遽一点、ブランメルはJFAに拉致される

当時練習に出かけていたベガルタは急報を受けJFAを追跡し、5レーン戦術を用いてブランメルもろとも撃った。この事件については、練習中のベガルタ兵がなぜか5レーンで武装していたかを根拠に、ベガルタによる父殺しの陰謀と見る説もある。その後、JFAは戦術藩を結成したのである。

2つ目はこれでした。

流れはベガルタのJFL(当時から)チーム名改編、そして現代と上手く組み込まれてますね。

 

そしたらですよ?

あながち間違いじゃないかもしれませんw伊達武将隊の伊達成実様(政宗様のいとこ)は「戦術を自由にお話しください」って言ったらかなり濃いことお話されそうです(イベントでは一般向けに軽く解説されてますが)

らしいです。

YouTubeで成実様とコラボできそうな気がしてきた。

戦術藩は戦国武将だった説

”戦呪武責”
片倉景綱が欧州の呪術を基に考え出したといわれる。
相手を分析し呪うその呪術は、戦の命運をかけ行われたが、実際にはしばしば返り討ちにされたとも言われる形式的な儀式であった。
なお、戦呪武責が転じて戦術分析となり、仙台に好事家の集団がいることが知られている。

当て字が最初に読めませんでした(笑)

 

 

諸説あった分かってない説

仙台戦術藩の成り立ちには諸説あって、各々やってたひと達が集まったとか、スタジアムで兄弟の契りを交わした、モンゴルから来たチンギス・ハンの生き残り、実は実体の無い組織で代理AIが運営してるなど、本当のところは分かっていない。 

ほんとなんのこっちゃw

 

弓術ではなく戦術藩だった説

 

ときは1900年代初頭。ドイツから東北帝国大学に招かれ教鞭を取ることとなった哲学者オイゲン・ヘリゲルは、開国後まだまだ西洋にとって一般的でなかった日本文化への理解を深める目的で、後に弓聖と称される弓術家阿波研造に主従することとなる。

弓術を習い修行していくうちに、ヘリゲルは西洋と日本の考え方の違いや、いわゆる禅の思想への理解に行き詰まるようになっていく。当時、弓術は精神修行的な要素が色濃く、効率的、競技的な側面を重視する西洋的考え方からは到底受け入れられないものだったのである。

帰国が近づくヘリゲルはついに阿波研造に問う事になる。すると阿波研造は陽が落ちたあと道場へ来るようヘリゲルを呼びぶと、その真髄を見せると言う。安土に1本の火のついた線香を立て灯りを消すと、暗闇の中にかすかに浮かぶ線香の火を頼りに矢を2本放ったのである。

すると2本目に放った矢は、なんと1本目の矢に命中したのだ。そして阿波研三はヘリゲルの方に静かに振り返りこう言うのである。

「ベガルタ戦術藩を結成する」

 

元は弓術の話ですね。

詳しくはこちら↓

オイゲン・ヘリゲル

阿波研造

 

戦術藩が三国志だった説

元ネタはコチラ↓

桃園の誓い

 

戦術藩結成の検証結果

という事でそれぞれの説はいかがだったでしょうか?

いろんな人の妄想?などもあり諸説ありましたね。

ちなみに最初にこのタグ作ったの誰だろう?と思って遡っていたらこのツイートが最初でした。

ってヒグチくんやないかい!

この後の流れはツイートからご覧ください。

検証結果は・・・楽しかったからOK!←

という事で久々のツイートまとめでした!

 

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